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・概要

「アイカツ!」第3期は2014年10月から2015年9月まで放送されたTVアニメ。
2012年から放送が始まった本作も第3シーズンにまで到達、徐々に女児向け作品としての地位を確立したと言えるのではないか。
そんな本作は、前2シーズンとは大きくシフトチェンジした作風が特徴で、マンネリ化とはならず新たな「アイカツ!」という作品の可能性を打ち出した意欲作であった。
では、具体的にどのような部分が意欲的で挑戦的と言えたのか。この部分を中心に書いていきたい。
……が、その前にブログでは今までまとめていなかった俺と本作の出会い、そしてなぜ俺が本作をここまで好きになっていったのかという経緯からまとめる。


・俺と本作の因果


結論から書くと、前のTwitterのアカウントのフォロワーから布教されたことが全ての始まりだった。ちなみに布教してくれた人物は、後にデータカードダスの「アイカツ!」を布教してくた方と同一である。
ちょうど去年と同じくらいの時期だろうか。
おそらくは第2期終盤のトゥインクルスターカップで盛り上がっていた時期だろう。
とあるフォロワーが、「すごく面白いアニメがある」とよく話題にしていたことから、俺もいつしか「アイカツ」という単語を認識し始めた。
そしてその人との会話で、俺にも是非見てほしいと懇願された上に、10月から新たなシーズンが始まるのだということも教えてもらう。
そこまで人気なのか。じゃあ途中参加ではあるが見るのも悪くないかもなぁ。
最初はこのような感じのほんのちょっとした好奇心だった。
女児向けアニメはプリキュアを始め元々好きだったし、キャラクターデザインなんかも調べた感じぱっと見俺好みだった。(ちなみに最初に興味を示したキャラクターはあおい姐さんだった。)
そのちょっとした好奇心が、1年後にまさか俺の生活の中心レベルで好きな作品になるなんて、この時は微塵にも思いもしなかった。


初めはちょっとした好奇心で見始めたこともあってか、全くと言っていいほどハマってはいなかった。
なにかの作業なりTwitterで呟きながら横で流し見状態だったこともあり、初期の頃の話は内容を覚えていない。


だが、1回目の転機が訪れる。
それは「映画 ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ」を映画館で見に行った時のことだ。
この時、かの傑作「劇場版 アイカツ!」の劇場CMが流れていたのだが……。


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このシーンの前後で、CMでは「美月さんがアイドル引退!?」といったテロップが入っていた。
当時の俺は本作こと3期から見始めたこともあり、美月さんの存在なんて全く知らない。
この時点での俺の中では「アイカツ!の世界では星宮いちごが最強のアイドルで、あかりはそれに憧れている」という情報しかない。
神崎美月って誰だ………?
いちごと対峙するこの女は誰なんだ………!?

そんな興味が出てきた。
神崎美月と星宮いちごの因縁とは……?
そこがこれからの本作で描かれることを期待したのだが、一向に神崎美月が出てくる気配はなかった。
するとまた興味が薄れてしまった。
余談だが、美月さんが本作において久々の登場となったのは第101話から21話ぶりである第122話なのは周知の事実だが、こちらではあくまでゲスト出演の歴代スターライトキャラのオールスター総出演回に過ぎず、具体的に何者なのかという説明はなかったため、「あ、神崎美月!!!」と驚きはしたものの結局は「古いキャラも出て今まで見てた人にはたまらん回なんだろうなー」くらいの気持ちにしならなかった。

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つーかこの時アジアツアーいってたんでしょ?わざわざ戻ってきて撮影に出演してくれたのかな?


結局見続けてはいたものの、当時の俺の中での評価はこうだった。

「キャラ達は切磋琢磨して頑張っているのは分かるが、明確な敵がいなくてただの友情ごっこで終わっているだけ。ライブシーンも同じような曲や演出を流用してるだけだし、盛り上がりに欠ける。

これは後々誤解であることが分かるのだが、残念ながらこの時の俺の中で本作は面白いという気持ちはあまりなかった。
そして、一定の期間見てもハマるものがないのであれば時間の無駄と判断しリタイアするのがシャオ流の連続シリーズもの作品の見方。
この作品を見続けるのも潮時かな、なんて考えていたのがちょうど第124話の頃であった。


続けてみようかどうかの最後の検討を測ったのが、今となっては最高の偶然だったと思えるあの第125話「あこがれの向こう側」だ。

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この回の思い入れについては後述するが、この回が存在しなければ俺はこの先本作を見続けることもなければ、データカードダスの「アイカツ!」を始めることも絶対になかったといっても過言ではないほどに思い入れの強い回である。
第124話までほぼ流し見をしていただけだったが、最後だし真面目に見るか……といって真面目に視聴したこともそう思わせるだけの要因の1つにもなった。


そしてその2話後には後半戦が始まるわけだが、ここから毎週真面目に視聴するようになった。
都合がつけばTwitterで実況をするようにもなった程で、俺の影響で本作後半から見始めるようになった別のフォロワーも出てくるくらい本作は大きな存在となっていった。
前2シーズンについても、ちょうど数ヶ月前にバンダイチャンネルを利用して1ヶ月かけて全101話を追いかけ視聴して完全に追いつき、今に至る。


以上が本作と俺の因果なのだが、俺は最初から本作のことをそこまで好きではなかったことをお分かりいただけだろうか。
しかし、今では俺の現在のブログのメインコンテンツにして、前述したように生活のの中心になるほどに引き込む力のある作品となった。
その魅力とは一体何だったのか?


・新たなる世代「あかりジェネレーション」へのシフトチェンジによる作風の変化


既に前2シーズンも全話視聴を終えた上であるのでこれは書けることであるのだが。
本作の主人公は前2シーズンの主人公であった星宮いちごから大空あかりに変更されている。
DVDやBDの本作のタイトルにも「あかりジェネレーション」という副題がついているから分かるように、本作はもういちごとしてのアイカツの物語ではなく、あかりのアイカツの物語へと切り替わったことを意味している。
いちごとあかりは同じ「アイカツ!」という作品における主人公ではあるが、ハッキリ言うと真逆で対極の存在である。
具体的には、アイカツを始めるきっかけやアイカツの素養や成長するまでの過程、コーデの好みなんかもまるっきり違う。違う人間なのだからこれは当然なのだが。
確かに当初あかりは、いちごを模倣したアイカツをすることがデフォルトであった。
しかし、これも後にいちごの言葉から克服し、彼女自身のアイカツを始めた。第2期の頃のお話だ。


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その象徴と言えるのがこの髪型。
いちごのように長く伸ばしていた髪を、自身のアイカツを始めるがためにバッサリ切り落とした。
あかりは劇中で何度も髪型が変わっているが、その都度彼女は成長した証を描写されているため、髪型の変更は彼女自身の成長の証になっているというのは俺の推測。
何が言いたいかというと。
主人公が変わるということは、同じ作品でも描かれ方はまるっきり違うものになることは何もおかしくないということだ。


俺は当ブログの本作第152話の感想で、以下のようなことを書いた。


ソレイユは結成までのプロセスから既に一つの物語として大きく洗練していた、という意味ではルミナスに圧倒的に勝るものがあったのも事実。
だから直接的な成長の描写がないのだとしても、今こうして誰よりも輝いているという実績も俺にはすんなり理解できる。
「ルミナスはソレイユに比べて生ぬるい!」だの「もっと挫折しろ!だのって意見が飛び交うのも分からなくはないんだ。
個人的にこの意見に反論するならば、いちごのアイカツとあかりのアイカツを同列に見てるからそういう風に捉えちゃうのではという所か。
二人の持つ力も成長するまでに得たものも全く違うのだから、そこを同列に見るのはフェアじゃないよね。
だから、ルミナスにはルミナスなりのアイカツがあっても何もおかしくはない。
皆が皆同じような物語を展開するわけではないんだし。そこであかりのアイカツが気に入らないのであれば、それはあなたにとってのアイカツという作品に求めるものがないってことなんじゃないかな。


主にTwitterだが、どうも本作をいちごの頃のアイカツにあった深いテーマ性が全くなくてつまらない、という悲しい意見を目にすることがよくある。
いちごの頃と作風が違うなんて当たり前だ。
いちごとあかりは同じ人間ではないのだから、同じテーマ性で描くなんて無茶ぶりも良いところだ。
それに、仮にいちごの頃のような描き方をあかりにしたのだとしたら、それこそいちごがあかりに否定した「模倣」なのではないだろうか。


しかし、前2シーズンとは全く異なる作風ではあるように見せかけちゃんと「アイカツ!」としての要素は継承されているのも事実である。


本作の前半では、あかりが「いちごのように上に行くにはどうすればいいのか?アイカツとは何をしていくべきなのか?」ということを、全力で考え抜いていた。
そして後半では、あかり達に後輩ができたことでそこから更に応用し、アイカツを主に「ユニット」という形で模索していきそこで得たものをユニットカップ、終盤には前2シーズンまでの先輩達を交えての「大スターライト学園祭」といったイベントで盛大に実力を発揮した。
そして最終的にあかり達はそこから「アイカツの未来」について考え、ルミナスで新たな戦いを初める所で閉幕となる。


本作全51話を簡潔に述べてみたつもりなのだがここで考えてほしい。
こうして書くと、前半は1期後半は2期のような作風に見えてこないだろうか?
「いちごのように」という部分を「美月のように」と書き換えれば、第1期初期の頃と同じだ。

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※第3話より。美月さんの付き人となり、彼女のアイカツを模索するあおい・・・と、無理やりついてきてそれを見ることを許されたいちご


後半の「ユニット」という形で模索していき~というのも、第2期で大きくクローズアップされるようになったユニットの概念に通ずるものがある。

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※第2期終盤を大きく盛り上げたトゥインクルスターカップより。第1期にもユニットの概念は終盤にこそ出てきたが、ユニット同士における直接的な対決描写もなく、終盤のスターライトクイーンカップでも今まで登場した全てのアイドル達による対決という形であったため、1期は2期ほどユニットの要素は重要視されていないと言える。


描かれ方こそ確かに全く違うかもしれないが、やってることが前2シーズンまでとそこまで大きく代わり映えしているだろうか?
つまりは、いちごとあかりで表面的な部分こそ変わったようには見えるかもしれないが、本質的な部分は何も変わっていないのである。


とは言っても、明確に前2シーズンに比べて減ってしまった要素がある。
それは上述の悲しい批判の中にもある挫折の要素が薄くなってしまったことだ。これにより、あかり達はいちご達に比べて楽な道で成長しているように見えてしまう……という意見が出てきてしまうのも分からなくはない。
だが、挫折をすることだけが何も成長への道というわけではない。それに、あかりは2期ではこれでもかと挫折した姿が描写されていた反動もあるだろう。
あえていちご達の中では印象的になっていた挫折を廃してあかり達にはあかり達の別の成長の仕方がある、と解釈することもできなくはない。
作品への緊迫感が薄まってしまったのは否めないかもしれないが、安易にいちご達と同じ成長過程にしないことでマンネリ打破や明確な差別分けをしたかったとも読み取れないこともないだろう。
これに関しては好みの問題だろうが、いちごとあかりはあくまで別の存在。
同じ「アイカツ!」という作品ではあっても、その過程は違うものとなってしまうことは何もおかしいことではない。

ではあかり達の成長の仕方とは何か、という話になるのだが。
それも本質的にはいちご達と何も変わってはいない。
仲間たちと共に協調し合い、共に高まり合っていくことが彼女たちの成長の過程である。
その手段として、本作ではおもに彼女たちアイドルの日常生活を掘り下げた場面が多かった。
アイドルというよりも、女の子としての側面のほうが多く描かれていたように思える。
アイドルの成長を描くアニメなのにその部分の薄い日常描写で成長を表現しようとするのは、実に挑戦的だ。
結果的にそれが生ぬるいなどという批判に繋がったが、その生ぬるさとやらで大きく変化したキャラだっている。
何を隠そう主人公のあかりだ
彼女は2期の頃はとても未熟で独りでいちごを追いかけているだけの存在であった。
本作になりスミレひなきルミナス組をはじめとして、珠璃や後輩のまどか、留学生のみやびここねといったキャラクター達との出会いと本作で特に描写された日常生活での日々が、結果的にあかりを大きく成長させた。


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アイドルの才能なんてないなんて言っていた彼女が。
半年後には、後輩を引っ張る立派な先輩として成長している。
キャプ画3つ見てもこれほどの差だ。表情にも注目してほしい覚悟の程が全く違うことも分かるのではないだろうか。
そして、これはいちごには見られなかった成長部分だ。
いちごは、2年間(劇中の流れ的には4年間だが)で成長こそしたものの本質的な性格の部分での変化はほとんどなかった。
あかりは下2枚のようなことを言えるようになったのは、本作なりの前2シーズンにはなかった描かれ方で彼女たちの歩みを描写した結果そのものだ。
それが仮にいちごと比べて生ぬるいものに見えようとも、これほど大きな成長描写を描いた本作の作風を、決していちご達に劣るものだとは思わない。


まとめるなら、いちご達のアイカツの要素は実は継承しつつも、新たな視点での描き方を模索していてそれは表面だけ見れば生ぬるいもののように見えるかも知れない、実際にはいちご達のアイカツに負けず劣らずの成長過程を描いていると俺は本作の1年間を通じて思った。
この要素が次回作である4期にも継承されるのかは分からないが、俺はどっちも違ってどっちも良いの精神で「あかりジェネレーション」における挑戦的とも言える新たな作風を高く評価したい。

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以上が、個人的なあかりジェネレーションの魅力の考察である。
本当はもっと語りたいのだが、これ以上具体的に書くとなると前述の流し見していたことで前半の内容が覚えていないことが足枷となり、上手く書ける自信がない。
なので、ここから先は再視聴が終わり次第書くかもしれない………?


・印象に残ったエピソード ベスト3


あかりジェネレーション独自の魅力についてはひとまず筆を置くとして。
代わりとして、俺イチオシの本作のエピソード3本をご紹介する。
独断と偏見で好きだと思った特に好きだったエピソードを列挙する。


第121話「未来に約束!」


第118話から続いた、交換留学生の藤原みやび編4部作の最終章に当たる回。
前半はほとんど記憶にないと言っている本作の前半戦において、数少ない印象深かった回の1つ。


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元々女の子でありながらどこかかっこよさの要素の見えていたみやびだが、この一連のシーンが特に印象的。
その考えや立ち振る舞いは武人の如く。
自ら強者に挑みかかっていくという挑戦心が心を惹かれた。
なんとなく、本作らしからぬバトルアニメチックな雰囲気醸し出していたのが、今となってはみやびというイレギュラーがいたからこそなのかなと。
まぁ、当時の俺は「星宮いちごが最強」っていうイメージが強すぎたせいで、さくらは2番手のようなイメージだったことも記憶していて。
「そこはいちごじゃないんだな」なんて疑問もあったりはしたんだが、続く第124話でさくらはスターライトクイーンへと覚醒ッ!
「納得のバトル相手だったよ!」と驚いた。


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対決という名目ではあるけどスペシャルアピールでは仲良しそうだ
ちなみに3期の曲だと「薄紅デイトリッパー」がトップクラスで好きな曲だったりするが、勿論それはこの話の影響が強い。


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そして去り際まで凛々しいのがまたいい。
こうして書くと、みやびって結構好きなキャラなのかもと再認識した。
少なくとも桜色華伝と薄紅デイトリッパーは大好きだ。

のんびりした日常話が多い印象の受ける本作だが、みやびというイレギュラーによって作風がちょっと攻撃的に見えたと感じた回だった!
4期の全国ツアーの京都行脚編での登場に期待する。


第150話「星の絆」


この話は当ブログで前後編約1万2千文字かけて感想を書いているので、改めて大きく語ることはそこまでなかったりするが。
あえてその時話題にしなかった方面のことを書いていく。
具体的な感想に関してはこちらをお読みください(前編後編)。


大スターライト学園祭編4部作のうちの後半3話目に当たる回で、話数にして実に71話ぶりのトライスターを取り扱ったお話。
放送される1か月前には既にアニメ雑誌なんかで「懐かしのユニットが出るかも?」なんてスタッフがインタビューで答えていたことと、アイカツオフィシャルショップのサポーターからトライスター復活は噂されていたことだったのは記憶に新しい。
かくいう俺もトライスターの復活もとい本編での救済をかねてより願っていた人間だっただけに、前2シーズンのメインキャラ達が隅に追いやられていた本作において大々的に取り扱ってくれた、ただそれだけで嬉しさが募った。
2話前の第148話でも大スターライト学園祭の初陣にしてぽわぽわプリリンが復活というサプライズがあったりと、大スターライト学園祭は本作の集大成というよりも前2シーズンを見てきた人たちに今でも見続けていることへのサプライズや恩返しという側面が強かったように感じる。
だから本作から見始めた人にはちょっととっかかりにくいお話だったのは否めないが、既に追いかけ終わっていた俺にとってはもう感動の涙が止まらなかった。


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かえでの再起への情熱と。


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ユリカの恐怖を克服した勇気。


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そして、美月さんのいつまでも絶えることのない輝きが。


俺の中で、嫌いで嫌いでたまらなかったトライスターというユニットを、初めて誰よりも輝いて、素敵なユニットだって思えたあの瞬間が、たまらなく感動だった。


同時に、神崎美月というキャラクターが俺の中で好きだと思えるだけの魅力が見えてきたのも評価点の1つ。
この人は、劇中の見えてないところでどれだけ苦悩し、辛い想いをしてきたのか。トライスターの存在を捨てたように思わせてのその裏は・・・なんて妄想が止まらなくなるくらいに、この話を見終わった後は美月さんのことばかり考えさせられた。
なお、1期から見直せる環境になったら、俺は神崎美月の視点を中心に見直していきたいと思っている。彼女の軌跡をしっかり見たいとこの話を見て思ったことだから。


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第125話「あこがれの向こう側」


本作ではダントツの文句なし傑作回
また、俺にとってアイカツ!にハマるきっかけを与えてくれた全ての始まりの回。


最初に書いたから分かると思うが、この話を見る時点の俺は「前2シーズンを一切知らない・星宮いちごを本作における最強のアイドルだと思っていてその過去を一切知らない」という状態だった。
ちゃんと最初から追いかけてる人からすれば、「え、それで感動したの!?」疑われてもおかしくはない。
なぜならば、このお話はいちご達が積み重ねてきたものを知っているからこそ生まれる感動だから。
俺がこのお話を見て感動した理由は、おそらく大多数の人とは異なる部分だ。


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俺がいちごを「最強」と記述していたことを思い出してほしい。
俺はここで、トップアイドルとして君臨しているの彼女にもその先に目指すべきものがあるんだと初めて気づかされる。
最強。頂点。それは最も強く頂きの点に存在する者のこと。
それはどこまでも孤高で、目指すものはなく周りに目指される存在。


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この時の俺には知る由もないのだが、まさに美月さんはそのような存在だった。
俺はこの時まで、いちごは美月さんのような立場だと考えていた。
あおいや蘭はあくまでいちごの近しい友達というだけで、同等の存在ではない。
いちごは最強にして孤高。
それにあかりが憧れている。
俺は本作はそういう関係図なんだろうなって勝手に思い込んでいた。
しかし、このお話でソレイユというユニットをいちごが組んでいたこと(ユニットという概念もおそらくこの回で初めて認識した)と……


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ソレイユというユニットの存在は、いちごにとって本当に大切大事な存在であることを知る。


いちごは孤高ではなかったんだ。
あおいや蘭と協調し合い高めあっている、今のあかり達とかつては同じ存在だったんだ。
星宮いちごという存在に受けていた虚偽のイメージを見事にぶち壊してくれた。
同時に。


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映画館で見た「劇場版アイカツ!」のCMを俺は思い出した。
このシーンの美月さんのセリフが、


「このライブを成功させれば……いちごは正真正銘トップアイドルになれる。
そうしたら私は……」

だった。
ここで俺の中で欠けていたパズルのピースが全てつながる。


いちごは、今のあかりのように発展途上だった時期があったんだ。
そして、いちごは神崎美月という人物に憧れてこの地位まで上り詰めたんだ。
あれ?だったら今のあかりはかつてのいちごと立場は同じなわけで。
それはつまり………



本作における「アイドル」という存在は、憧れという絆によって、1本のラインで繋がり続けていくものなんじゃないのか?



という、俺の中での「アイカツ!」という作品の最大の魅力をここで気づくことができた。


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劇場版のこのビジュアルが俺はすごく好きだったりするが、その理由も上に書いたとおり。
憧れという絆によって繋がった、3世代のアイドル達の集結という最高のカットだから。


美月さんからいちごへ。

いちごからあかりへ。

そして、あかりもその次に続くであろう新たなアイドルへ。


こうしてアイドルという存在は継承されていくという壮大なサーガの一端を知ってしまった、とこのお話を見て俺は感じた。


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ラストには、ただの憧れているだけだったあかりが初めて、いちごを超えるべき対象として認識したことで。
当時の俺には馴れ合いの友情ごっこにしか見えていなかったアイカツが、長い長い熱く深いサーガであることを知る。
ここのあかりの決意に満ちた表情それを納得するいちごの表情に、初めて本作で涙をボロボロ流してしまった。こんなに深い物語なのか、と。
いちごの過去の事情なんて一切知らないにも関わらず。
後にこれが、主人公交代の継承式のような回であるという事実を知るが、当時の俺にはそんなこと知る由もなく。
そこではなく、アイカツという作品は自分には想像だにもしないような壮大で感動的なものがたくさん詰まった作品なんだなって初めて知れたことがとても心にきた。


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これは劇場版のラストシーンだが、まさか劇場公開から数ヵ月後の話(話数にして10話弱)に円盤化もしていないのに使っていたとは。
当時の俺は劇場版は未視聴だったので「こんなシーンあったっけ?」としか思えなかったが、いちごの集大成であった劇場版のアンサー回にもなっていたと後に知る。
他にもこのお話EDが特別仕様で第1期前期EDの「カレンダーガール」(これも後に別れを象徴する曲だと知るが、当時の俺には「知らない曲だ!」という印象しかなかった)だったりと、いちごが主人公であるアイカツの終焉と、本格的なあかりのアイカツの始まりを象徴していた。
本作の中で、ここをビッグイベントと言わずしてどこを言おうかと言いたくなるほどの本作の大きな転換期を迎えた回だった。


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毎週アバンでお馴染みのこのセリフで締めくくられるが……


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このお話まであかりと一緒にアバンに出ていたいちごは卒業し(1枚目)、次回からあかり一人となった。(2枚目)
あかりの自立が始まったとでも言うのだろうか。
この点から見ても、このお話のテーマは継承されていくアイドル魂であるなと………!


以上のように、非常に思い入れの強い回である。
これをTwitterで語って、「いちごの過去を知らないのにここまで感動できるのはすごい」とフォロワーさんに言われたこともよく覚えている。

この回で見るのを最後にしようかどうか迷っていて、普段より真面目に視聴したこと。
映画館で劇場版のCMを見ていたこと。
その時神崎美月という存在が気にかかっていたこと。
いちごに対する勝手な思い込みとの落差。
あかりというキャラの目指すべき目標が明確になった。

などなど、様々な要因が絡んだことで俺の中で感動の嵐を巻き起こした。
このお話を作ったスタッフさんにはもう感謝だ。
俺の今は、このお話から始まったので。



・まとめ


というとりとめもない感じで俺なりに本作をまとめてみた。
大きく訴えたいのは、いちごとあかりは全く違うキャラであること。
だから同じような作風にする必要はないし出来ないのであって、いちごの頃にあった魅力をそのままで描くなんてのは無理だ。
ある意味で、本作は主人公がいちごという要素をオミットしたことで様々なことにチャレンジできた挑戦作だったと評価する。
ただ、しっかり見ていれば前2シーズンとやってることはそう変わっていないということと、終盤には前2シーズンを見続けていた人にとってはたまらないサプライズがあったりと、本作は今までのことを決して蔑ろにしているような作品ではないということも俺は訴えたい。
本作はあくまで次に続く第4期へのスタートラインに過ぎない、というのは第152話の感想で書いたこと。
それは、本作のたくさんのチャレンジがどのように反映するのかで本作も第4期の評価も変わっていくはず。
本作をイマイチだと思ったあなた。だったら、次に続く第4期もしっかり見ていかないか?
挑戦的で意欲的な作風が注目であった本作に続く第4期ではその挑戦がどのような形で反映されていくのか?プラスとなるかマイナスとなるか。これを見てからでも本作を評価するのは遅くないだろう。
いちごとは違うあかりのアイカツが、どれほどの素晴らしい物語を見せてくれるのか。
それは、これから1年間第4期を追い続けていくことで、俺なりの答えを見つけていきたい。



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